感染症とキリスト教会の歴史から

シオンの群教会/聖契神学校 吉川直美

 キリスト教会は、その始まりから「ローマ帝国が不治の疫病によって荒廃されなかったなら、キリスト教が世界勢力としての基礎を固めることにたぶん成功しなかったであろう。」(F・F.カートライト『歴史を変えた病』倉俣トーマス旭/小林武夫訳、法政大学出版会)と評されるほど、感染症と深い関わりを持ってきました。その一部を概観して、今を生きる私たちへのメッセージを聴き取りたいと思います。

■キュプリアヌスの疫病
 ローマ帝国は2世紀から6世紀にかけて、度重なる疫病に舐め尽くされてきました。とくに3世紀にローマを打った「キュプリアヌスの疫病」において、既存の諸制度が為す術もなく、隔離の名の下に感染者を遺棄して信用を失墜する一方、キリスト教会は、見捨てられた病者を主イエスに倣って看護し、貧しい者や異教徒の遺体も分け隔てなく埋葬することで、死亡率を押し下げて異教徒の信頼を得ていきます。彼らの心を捉えたのは、献身的な看護や兄弟愛のみならず、その源にあるキリスト教の死生観、終末観でした。神は正しく生きた者に永遠のいのちを与えるという教えは、死と隣り合わせの人生を意義あるものとし、貧しい者にも生きる希望を与えたのです。看護のためにいのちを落とした者は殉教者として栄誉を受け、福祉や医療行為は教会の働きとして発展していきます。こうして、福音の証しとともに教会の社会における役割が方向付けられていったのでした。

■鞭打ち苦行者とユダヤ人迫害
 中世ヨーロッパを苦しめたベストは、大別すると三つの反応を引き起こしました。第一に、ボッカチオの『デカメロン』に見られるような刹那的・享楽的な生活態度です。第二に、疫病を神からの罰と受けとめて、その怒りを回避しようとする贖罪行為としての「鞭打ち苦行運動」が挙げられます。自分自身で、あるいは互いに鞭で打ち叩いて行進するという異様な光景でしたが、当初は集団懺悔として教会にも歓迎され、聖職者と信徒の区別なくヨーロッパ全体で何千何万人が熱狂しました。やがて、富裕層や形骸化した教会に対する革命の様相を帯びるに至って、教会の激しい弾圧に遭い自壊の道を辿りますが、彼らの熱は中世の終焉を推し進め、宗教改革の布石となりました。第三に、鞭打ち苦行者たちの贖罪行為は、神の怒りを宥めるための犯人探しに転じ、ユダヤ人、障がい者、富裕層などが標的とされました。関東大震災において朝鮮人に着せられた濡れ衣と同じく、ユダヤ人が井戸に毒を投じたという噂がまことしやかに流れ、強制改宗させられた末に焼き払われています。彼らは東と逃げますが迫害の連鎖は止むことなく、ホロコーストへのレールが敷かれていったのです。
 一方、私たちと同様に外出自粛を余儀なくされた人々が、「強制された安息日」として肯定的な意味づけをしていたという記録に励まされます。前述のような狂騒の中で、神との関係を深めた人たちもいたのです。

■COVID-19下の教会
 このように、感染症と教会の歴史には光と影があります。3世紀のクリスチャンがいのちを賭して証しした福音、主イエスの十字架の愛と復活の希望は、今に至るまで消えることなく貫かれている光です。被災地で「キリストさん」と信頼され慕われる姿に、終油を塗るために感染しいのちを落とした司祭たちの中に、葬儀で語られる復活の希望のことばに、福音の光は引き継がれています。
 一方、人には恐れや不安から原因探しをして、異民族や弱い者、異なる価値観を持つ者に罪を着せようとする、そのような闇があることも心しておかなければなりません。ますます強者の論理が幅をきかせる世界で、教会は神の国の民として、COVID-19下ゆえに与えられた福音宣教の可能性を励まし合っていこうではありませんか。
 「隔離」「検疫」を意味する英語“quarantine”は、イタリア語の40が語源で、かつて、港に着いた船の乗船者が、上陸するまで40日間隔離されたことに由来します。聖書における40日が、新しいフェーズを迎えるまでの神から与えられた準備期間であることと重ねあわせるなら、COVID-19下における期間(年単位になるかもしれません)が教会にとって強制された安息日となり、朽ちることのない福音の証しと、新たな成熟を迎えるための期間となることを期待して祈ります。――主の平安が私たちにありますように