4月12日(日)週報掲載記事

「神学生サポートの重要性(その3)」

 今日を含め、あと3回「神学生サポート」について書かせていただきます。まずは『ケープタウン決意表明』からの引用です。

「神学教育は、あらゆる形の宣教の取り組みとパートナーを組む。聖書に忠実な神学教育を提供しているすべての人々について、その教育が公式的か私的かを問わず、また地域、国、近隣諸国地域、世界のどのレベルかを問わず、私たちは彼らを励まし、支援していく。」(p.91)

 ここでは、神学教育が単に牧師養成だけを目的としたものではないことが明らかにされています。宣教師の派遣団体、聖書翻訳協会、キリスト教に基づくNPO法人・保育・学校・福祉・医療・伝道団体など、神学は多岐にわたる分野の宣教的働きとの関わりを持ちます。事実、神学校には牧師を目指す人だけでなく、様々な団体の働きを担う器が送られています。そのような働きのためになぜ神学教育が必要かと言えば、その目的が主イエスの大宣教命令とどのように結びついているか、ベクトルを鮮明にしている必要があるからでしょう。それらの働きは「この世」との関わりを持っていますから、聖書的な判断を下すための目が必要なのです。
 神学校で履修する科目は、時に必ずしも現場の働きと直結しているように感じられないこともありますが、幅広い神学的マインドを養うための基礎づくりであることが多いのです。 《次回に続く》

4月10日(金)受難日に寄せて

 明後日のイースターに先立ち、受難日には主イエスの十字架の苦しみと死とを覚えて過ごします。本来受難礼拝を行なえることが望ましいのですが、そのイメージだけでもお伝えしようと思いました。
 昨年、敬愛するO先生が書かれていた受難礼拝の様子を参考に、私たちの教会でもいつかやってみたいと思っていることがあります。賛美・説教・信仰告白などの後、礼拝の締めくくりとして、燭台に立てられた7本のロウソクを、主イエスの「十字架上の7つのことば」の朗読とともに1本ずつ消していきます。そして、最後には真っ暗になり、主イエスの十字架の苦しみと私たち人間の罪深さを黙想します。主の憐れみを乞い求める祈りをささげた後、後奏と黙祷をもって終わります。この受難礼拝の中に聖餐式を取り入れ、最後の晩餐をイメージするとなお良いと思います。
 我が家では、子どもたちにも一食がまんすることを伝え、私も断食しつつ説教を書いています。不十分ながらも受難日としてこの日を過ごすことができればと願います。


≪十字架上の七つの言葉≫
①「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)
②「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)
③イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。(ヨハネ19:26-27)
④イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。(マタイ27:46、マルコ15:34)
⑤イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。(ヨハネ19:28)
⑥イエスは、・・・「完了した」と言われた。(ヨハネ19:30)
⑦イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ23:46)

4月8日(水)祈祷会

本来祈祷会で学ぶ予定だった箇所からショートメッセージを作成しました。今回はこれを参考にしていただき、10時半に自宅で祈りの時をもちましょう。

ハイデルベルク信仰問答 問11より ショートメッセージ.pdf

【祈祷課題】
・新型コロナウイルス感染症に伴う世界の混乱が収束していくように
・医療に従事しておられる方と罹患された方が守られ、一日も早くワクチンが開発されるように
・教会がこのような状況下にあっても支えられ、霊的生命を失うことなく、むしろ成長していくことができるように

まだ実現するかは分かりませんが、zoomなどを用いてオンラインでの祈祷会ができないかと考えております。

4月の諸活動休会のお知らせと今後の祈祷会のあり方について

新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、4月の諸活動は引き続き休会とさせていただきます。3月22日の役員会では、祈祷会のみ再開する方向で話し合いましたが、コロナの現状は厳しさを増してきておりますので、再開は延期となることをご理解いただきますようお願い申し上げます。尚、祈祷会にて学ぶ予定の箇所(詩篇とハイデルベルク信仰問答)から、短く内容をまとめてまいりますので、ご参照のうえ各自水曜日の10時半には祈りのときをもってください。よろしくお願いします。

3月22日(日)週報掲載記事

「神学生サポートの重要性(その2)」

 先週に引き続き、「神学生サポート」について書かせていただきます。『ケープタウン決意表明』から、神学と宣教との関係を考えます。

「A私たちのうち教会や宣教団体を導く者は、神学教育が本質的に宣教的であることを認識する必要がある。私たちのうち神学教育をほどこす者は、神学教育が意図的に宣教的なものとなるように保証する必要がある。というのも、学術機関において神学教育が地位を得るというのは、それ自体が目的なのではなく、世界における教会の宣教に役立つことが目的なのである。」(p.91)


 つまり、「学問のための学問」「知的好奇心」として神学を学ぶのではなく、「神の国の前進」「宣教」のために神学を学ぶ必要があるということです。よって、神学校が提供する学びの内容は、机上の空論で終わることなく、実践的な学びでなくてはなりません。その意味で、神学校で指導の任に当たる人は、現場を知っている人であることが望ましいのです。牧会と神学校の講師を兼任されている先生方の多忙さは想像に余りありますが、牧会の現場での経験が神学教育の現場での言葉となるのです。同様に、神学生も現場を深く知ることによって、学んでいる内容と宣教とが結びついたものとなるでしょう。それでいて、奉仕に忙殺されてしまわないよう、周りの配慮も必要です。《次回に続く》



3月15日(日)週報掲載記事

「神学生サポートの重要性(その1)」

 4月からいよいよK神学生のサポートをスタートしてまいります。私自身も神学生時代、多くの方から愛の支援をしていただき、改めて深い感謝の思いに溢れています。この度、神学生を支えるということが主の宣教の働きにおいて如何に重要であるかをお伝えしたいと思い、筆を執りました。『ケープタウン決意表明』の中に、その意味をよく説明している文章が出てきますので紹介させていただきます。

「ミニストリー、一致、及び成熟において教会が成長するために、聖書を教えることは不可欠である。この必要性を改めて確信し、その確信が神の全教会をとらえるのをこの目で確かめたい。キリストが教会に牧師・教師として与えてくださったすべての人々の賜物を、私たちは喜ぶ。神の言葉を説き、教える業のために、そうした人材を見出し、励まし、訓練し、支援するために、私たちはあらゆる努力をする。」(p.69)

「神学教育は、伝道の先にある宣教の一部なのである。地上における神の使命は、神の使命に仕えることであり、神学教育の使命は教会の宣教を力づけ、教会の宣教と共に歩むことである。神学教育は第1に、牧師・教師として教会を導く人々を訓練するために役立つべきであり、誠実さと妥当性と明確さをもって神の言葉の真理を教えることができるよう、彼らを整えるものである。神学教育は第2に、神の真理をすべての社会的文脈において理解し、また適切に伝えるという宣教の務めのために、すべての神の民を整えることに役立つべきである。」(p.90-91)

 直接献身する人が少ないこの時代にあって、東京ティラナスホールから器が興されていることを喜び、祈りつつ支えていきたいと思います。《次回に続く》

3月8日(日)週報掲載記事

「新型コロナウイルスの影響下にあって」

 中国の武漢を震源地として世界に拡がりを見せている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が、私たちの生活にも直接的に及んできています。首相の要請によって、この国でも3月に入ってから全国の小中高校が次々と休校になり、様々なイベントが中止され、マスクや消毒用アルコール、更にはトイレットペーパーなどまで不足し、国民の生活への影響はさながら、経済界も大打撃を受けています。予測のつかないことが起こる世界にあって、信仰者はどのように生きるべきなのでしょうか。
 私はこのようなとき、よく思い出す聖書の箇所があります。それは、バビロン捕囚に連れ去られたユダヤの民に対する預言者エレミヤのメッセージです。捕囚の現実を受け入れることのできない民に向けて、エレミヤはこの異国の地で民は忠実に歩み、生き残り、次の世代が祖国に帰還できるように、70年の苦難を耐え忍ぶよう励ましました(エレミヤ29:4-7,10-14)。70年というのは気の遠くなるような期間ではありますが、終りがあります。その間、民は支配者に逆らうのではなく、その場所で神の民として証の生活をすることで、民族的繁栄に至ると約束されたのです。私たちのこの現実も、収束の目処が立たぬ中にありますが、神の良いご計画を信じ、今できる精一杯の生き方に努めたいと思います。この時にしかできない何かがきっとあるはずです。