2020年5月6日(水)祈祷会〔ショートメッセージ付き〕

今回はハイデルベルク信仰問答問い13からショートメッセージを作成しました。
参考にしていただき、今回はオンラインで分かち合いの時をもちましょう。

今回はZoomで初の顔合わせとなります。
大変お待たせしましたm(__)m

【祈祷課題】

①学生さんたちの新学期スタートの目処が立っていくように

②高齢者や持病持ちの方々の健康が守られるように

③制限のある生活の中で教会が取り組み始めている活動が用いられるように

④新型肺炎のためのワクチンと治療薬が一日も早く開発されるように


その他、個人的な祈祷課題がありましたらお伝えください。

2020年5月6日(水)祈祷会用参考資料

ハイデルベルク信仰問答
問13 私たちは、自分で、それを償うことができるでしょうか。
答え 到底できません。反対に、私たちは日ごとに、自分の負債を大きくしているのであります(ヨブ9:3、ローマ2:4-5、マタイ6:12)。

《A.ペリーによる解説》
 人間が、第一に考えるべきことは、自分の力を調べるために、自分自身に集中することである。莫大な不渡手形に直面しても、人間はそれを弁償できる、という幻想をいだきつづけている。
 これが贖罪という概念の起源である。人間は神のために何かしたいと欲している。また、人間は自分の負債を支払いたいと願っている。このようなことは、「諸宗教」が人の心の中に生きつづける幻想である。なんとかして、すべての諸宗教が神に対する負債を完済することによって、人間に役立とうと企てている。福音的キリスト教は、一つの宗派ではない。福音的キリスト教は、贖罪に関する人間の学説ではない。それは、パウロがユダヤ教の中で、またルターがローマ・カトリックの中で学んだことである。使徒パウロが、福音は「信ずる者にとって救いをえさせる神の力であり」、「信仰による義人は生きる」(ローマ1:16)と言い、ルターは「神の栄光は、罪人が恵みのうちに入れられる時、すべての輝きをあらわす。それは私たちに祝福を与える神の栄光である」と言っている。カルヴァンは、「信仰とは、福音において差し出された義を受け入れる」ことである、と積極的に語っている。その場合、使徒と改革者は、イエス・キリストの福音に対して確実に一致している。すなわち、〔彼らが〕人は神の義を満たしえず、己が負債を支払うことができず、自分以外から助けられねばならない、という点で一致するのである。支払い不能者は、独力で、債権者に支払うことはできない。〔いうなれば〕溺れる者は、自分の髪をひいて自分を引き上げることはできない、ということである。
 「善き」行ないは全く無用である。それらは悪い行ないの埋め合わせにもならない。それらは帳尻を合わすこともできない。私たちの行為は、すべて呪われ汚れている。私たちはただ一つでも、純粋な行ないをなしえない。すなわち、ただ愛によってのみ動機づけられた、完全な、利他的な行為を生み出すことはできない。私たちが行なうことは、私たち自身の根深いエゴイズムと自負のしるしをおびている。そのようなことは、私たちの悲劇的な状況であり、正しいことをなさんと欲している時、とりわけ、私たちが自分を救うために正しいことを行おうとする時、私たちは、ただ、己が負債を増し加えるのみである。それゆえ、イエスは「義人を招くために来たのではなく、罪人を招くために」来たのである(マタイ9:13)。このことは、自分の努力によって、自分を救い出さんとした試みを投げ捨てる人々と、神の恵み以外のものに頼るものがないという人々に重要な意味をもっている。私たちがこの賜物を受け入れないかぎり、私たちは、日ごとに、自分の負債を大きくしているのである。

 私たちの善き行ないや善き意志は、ただ、相対的に、善であるということを明確に理解することは重要なことである。神は完全を望んでいる(マタイ5:48)ので、私たちの行ないは、どんな方法によっても、神を満足させるためには役に立たない。すなわち、私たちの行ないは、自分に向けて、もう完全に返済は完了したのだ、と言わせることはできない。
 福音の中には、神が私たちの善き意志、善き業、立派な努力を考慮する、と言っているところはない。「それは、努力して立派に舗装する地獄への道であり、天国への道ではない」(ジャン・ド・ソッスル『ハイデルベルク信仰問答に基づく高等宗教教育教本』10頁)。
 神が人間を考慮するただ一つのことは、人間の悔改めである。すなわち、自分自身の罪責と人間的無力さの認識ということである。私たちの善き業が、神のお陰であることは絶対的なことである。善き業はそれ以上の何ものでもない。

2020年4月29日(水)祈祷会〔ショートメッセージ付き〕

今回は詩篇60篇からショートメッセージを作成しました。
参考にしていただき、10時半に自宅で祈りの時をもちましょう。

【祈祷課題】(4月26日に載せた内容です)

①医療、消防、食品、販売、運搬、福祉、保育、ワクチンおよび治療薬の開発、インフラ維持、治安維持等に従事してくださっている方々、国や地域社会をリードしておられる方々が守られるように。

②この厳しい状況を乗り越えていくための知恵が世界各国の首脳陣に与えられるように。


③罹患された方々、大切な身内を失われた方々の上に慰めが与えられ、職を失い経済的に困窮されている方々の必要が満たされるように。


④コロナに伴うあらゆる差別が撤廃され、いじめや暴力が止められ、互いが愛し思いやる社会が世界各地で形成されていくように。


その他、個人的な祈祷課題がありましたらお伝えください。

2020年4月26日(日)週報掲載記事

「神学生サポートの重要性(その4)」

今回を含めてあと2回、本テーマで書かせていただきます。まずは『ケープタウン決意表明』より。

「神学教育の機関及びプログラムは、そのカリキュラム、構成、価値観を宣教の観点から監査し、それぞれの環境において教会が直面している必要及び機会のために真に役立つことが保証されるようにと、私たちは要請する。」(p.91)

 ここで言われていることは、解説も必要ないほど明瞭でしょう。学問のための学問ではなく、現場のための学問であることが求められているのです。イメージとしては、教会は神学生を神学校に派遣し、信徒の方がなかなか足を運んでまで学ぶ機会を持てない神学全体を学んできてもらい、それを教会の現場で応用していただくということです。
 私は先日、母校に電話をし、暫し校長先生とお話しする時間が与えられました。気づけば卒業して12年の歳月が流れ、時代も変わりました。私が在籍していた時期も学びはハードに感じましたが、その後、聖書信仰の分野においても日本の福音主義神学は進展し、2011年の東日本大震災やこの度の新型コロナウイルスといった重要な社会情勢の変化に対応するため、学ばなくてはならない内容がグッと増えたと聞きます。それに応じて講師陣も世代交代し、テキストも変わったそうです。もし私がこれから入学するとしたら、再び一からとは言わないまでも7割以上は学び直さなければならないでしょう。牧会の現場での経験によって成長させられた面があると同時に、学問の現場を離れたことによって入ってこなくなった多くの情報があることも実感しています。その意味で、これから学んでいかれる神学生を心からリスペクトし、私自身も初心に帰って知らないことを学び取りたいと思っています。教会の皆様にも同じ思いをもって支援していただければ幸いです。《次回に続く》

4月22日(水)祈祷会〔ショートメッセージ付き〕

今回はハイデルベルク信仰問答の問12からショートメッセージを作成しました。
参考にしていただき、10時半に自宅で祈りの時をもちましょう。

【祈祷課題】

  • 先の見えない状況下にあって、教会と信徒の皆様一人ひとりがあらゆる場面で適切な判断をして歩んでいくことができるように。
  • 新型コロナウイルスが終息へと向かうため、人類全体が心を合わせることができるように。
  • 高齢者や健康上の問題を抱えておられる方が守られ、働きの現場で苦闘しておられる方々に力が与えられるように。