聖書(特に旧約聖書)における律法の柔軟な運用

日本ホーリネス教団/東京聖書学院 千代崎備道

 コロナウイルスの感染拡大のために、多くの教会では教会堂に集まって礼拝を捧げることができないでいます。私たちは信仰の先達から「安息日厳守」と教わってきましたし、また集まって礼拝をすることの大切さを講壇から教えてきました。ところが教会堂に集まることを「禁止」せざるをえないことで牧師も悩み、また信徒の中にも教会堂に行けないことで罪意識を感じてしまう人もいるかもしれません。確かに「安息日を聖とせよ」と教えているのは聖書であり、私たちは聖書を正典(信仰と生活の基準)としているのですが、その聖書が時には定められた規定に例外を設けたり、代替案を提示していることも私たちは知ることができます。

過ぎ越しの延期(民数記9:6〜11)
 過ぎ越しの生け贄を捧げるのは第一月の14日だが、死体に触れて身を汚した人はそれができなかった。その人々は汚れの期間が終わって、第二月の14日に一月遅れの生け贄を捧げて過ぎ越しを守ることが許された。

捧げ物の代替(申命記14:22〜26)
 収穫の十分の一を「主の御名を置くために選ぶ場所」(後に神殿となる)に必ず携えていって神の前で家族とするのだが、道のりが遠すぎる場合は金に換えて運び、主の選ぶ場所に行ってからその金で好きなものを買い求めて、それを家族とともに食して喜ぶことが許されている。


安息日の例外(ヨシュア記6:3〜4)
 エリコ攻略には七日間の行動が命じられた。曜日は明記されていないが、そのうちの一日は安息日であるにも関わらず他の日と同様の行動が命じられた。これはエリコ攻略そのものが神に捧げる宗教的儀式と見なされたためと考えることも出来るが、神自らが命じられた場合は、安息日にも行動することは間違いではない。


祭りの日程の地域による相違(エステル記9:16〜22)
 ユダヤ人を殺そうとする敵を除いて安息を得たことを記念して、プリムの祭りが制定されたとき、地方とシュシャンの都では戦いに日数が異なるために、祭りの日程にも違いがあった。すなわち地方ではアダルの月の14日が祝宴の日であるが、シュシャンの都では14日と15日の二日間を祝宴の日とした。プリム祭はモーセ律法には無い祭りのため、強い規定ではなかったのかもしれない。

礼拝の場所(聖所)の例外(エゼキエル書11:15〜16)
 バビロン捕囚となった人々は神殿での礼拝が行えなかったが、彼らが行ったその国々で、神ご自身が聖所となると約束された。これにより捕囚の民は各地に会堂を建てて安息日の礼拝を行い、その礼拝形式がやがてキリスト教の礼拝スタイルの元となっていく。なお、この約束は「しばらくの間」との条件付きで、その期間がエルサレム神殿破壊から神殿再建までのおよそ七十年かは明示されていないとしても、永久的な措置とは言えないだろう。


 以上のように、律法の規定は状況によっては例外や柔軟な運用が許されることもありました。それは人間の側のやむを得ない状況を神が配慮しておられることの現れと思われます。このような律法における神の御心があるからこそ、キリストの弟子たちが安息日の規定を破っていると非難するパリサイ人たちに安息日について教え「安息日の主」だと宣言され(マタイ12:1〜12)、安息日は人間のために設けられたと宣言をされた(マルコ2:23〜28)のです。
 安息日(私たちにとっては日曜日と考えて)に定められた場所(旧約時代は聖所や神殿、新約時代以降は家の教会や教会堂)で礼拝を捧げることを、パリサイ的に守らなければならないとするなら、私たちが集まっての礼拝を行わないことは問題となります。しかし、このような状況において、もし神が私たちの出来ることを嘉してくださるのでしたら、新しい方法があり得ると考え、その中で最善を尽くすことは、聖書的に間違いとは言えません。緊急事態の後には教会堂に集まっての礼拝スタイルが再開されることを否定する必要はありませんが、新しいスタイルを柔軟に考えることは宣教の機会を広げるきっかけとなるかも知れないことを感じています。