3月22日(日)週報掲載記事

「神学生サポートの重要性(その2)」

 先週に引き続き、「神学生サポート」について書かせていただきます。『ケープタウン決意表明』から、神学と宣教との関係を考えます。

「A私たちのうち教会や宣教団体を導く者は、神学教育が本質的に宣教的であることを認識する必要がある。私たちのうち神学教育をほどこす者は、神学教育が意図的に宣教的なものとなるように保証する必要がある。というのも、学術機関において神学教育が地位を得るというのは、それ自体が目的なのではなく、世界における教会の宣教に役立つことが目的なのである。」(p.91)


 つまり、「学問のための学問」「知的好奇心」として神学を学ぶのではなく、「神の国の前進」「宣教」のために神学を学ぶ必要があるということです。よって、神学校が提供する学びの内容は、机上の空論で終わることなく、実践的な学びでなくてはなりません。その意味で、神学校で指導の任に当たる人は、現場を知っている人であることが望ましいのです。牧会と神学校の講師を兼任されている先生方の多忙さは想像に余りありますが、牧会の現場での経験が神学教育の現場での言葉となるのです。同様に、神学生も現場を深く知ることによって、学んでいる内容と宣教とが結びついたものとなるでしょう。それでいて、奉仕に忙殺されてしまわないよう、周りの配慮も必要です。《次回に続く》